復興建築の世界

関東大震災後の美しい建物たち

このサイトについて

 

 

 

 2006年に開業した「表参道ヒルズ」は、全長250mに及ぶ長大な建築ですが、その端っこに不思議な建物がついています。

 

表参道ヒルズ

ガラス張りの間に不思議な白い建物が

 

 

 これは何かというと、かつてこの場所に存在した同潤会アパート(青山アパートメント)を模しているんですね。

 同潤会アパートは、関東大震災で廃墟になった東京に、次々と建っていった集合住宅の総称です。青山だけでなく、代官山や大塚など、東京のいたるところに建てられました。

 

同潤会アパート

同潤会アパート(青山)

 

 

 しかし、竣功から長い年月が経ち、現存するのは上野下アパートメントだけになりました。しかし、このアパートも、2013年6月に取り壊されることが決定しています。

 

同潤会アパート(上野)

同潤会アパート(上野)

 

 

 東京は、関東大震災と太平洋戦争で、都市全体が2度にわたって消滅しました。また、日本人は木と紙で作られた家屋に住んできたせいか、「建物を保存する」という意識に乏しく、歴史的建造物があっという間に取り壊されていきます。

 

 最近では、旧来の建物の外壁だけ残して、巨大なビルをその上に建てるという姑息な?建築も多いですな。その元祖としては、GHQに接収された第一生命ビルあたりでしょうが、東京中央郵便局に作られたJPタワーもそうですね。しかし、これでは名建築を保存してるとは言いがたいでしょう。

 要は、経済原則が優先する日本では、歴史的建造物を残すのはかなり難しいのです。

 

第一生命ビル

第一生命ビル

 

東京中央郵便局JPタワー

東京中央郵便局(JPタワー)

 

 

 問題はそれだけではありません。

 表参道ヒルズは、著名な建築家の安藤忠雄が設計しましたが、日本で最も有名な建築家といえば、東京都庁赤坂プリンスホテル新館を設計した丹下健三でしょう。

 

都庁

都庁

 

赤坂プリンスホテル新館

赤坂プリンスホテル新館(グランドプリンスホテル赤坂)

 

 

 しかし、丹下健三の設計図は、現在日本には1枚も存在していません。そのすべてがハーバード大学の建築学大学院フランセス・ロウブ図書館に保存されているのです。

 

 こうした状況に危機感を感じた文化庁は、2013年5月、建築資料を収集する「国立近現代建築資料館」をオープンさせました。

 そこで、さっそく見てきたところ、丹下健三の代表作「国立代々木競技場」を中心にした「建築資料にみる東京オリンピック」という特別展を開催していました。これはこれで、まぁ、それなりの展示でしたが、しかし、資料館としては非常に未熟で、ほとんど何の足しにもならないような状況でした。

 

代々木競技場

代々木競技場の模型

 

代々木競技場

代々木競技場の設計図

 

 

 あんまりお粗末なんで、本サイトでは、勝手に建築資料を公開することにしました。特に、関東大震災後に建てられた「復興建築」を中心に資料を公開していきます。

 

 復興建築は、短期間に一気呵成に作られたため、「没個性的」「類型的」と評されることが多く、耐久性にも疑問符がつくような建物なんですが、それでも現代の建造物に比べれば、はるかにおしゃれで素晴らしいデザインとなっています。

 

震災記念堂

個性的な「震災記念堂」(東京都慰霊堂

 

 

 にもかかわわらず、復興建築に関する書籍はほとんどなく、ウィキペディアにも項目が立たない(2013年5月現在)ようなひどい扱いを受けています。

 

 日本人って、やっぱり建築に興味がないんでしょうかね。

 

 そんなわけで、探検コムの別館である本サイトでは、「国立近現代建築資料館」に負けないような資料を公開していきたいと思います。まずは、『東京・横浜 復興建築図集1923-1930』(丸善、1930)を完全復刻していきます。